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聖歌は生歌

聖歌は生歌

主の洗礼の祝日の答唱詩編

【はじめに】
 主の洗礼の祝日は、各年共通の朗読箇所があり、A年は必ずこれを読みますが、B年とC年は、この共通箇所と任
意の箇所のいずれかを読むこともできます。「聖書と典礼」では、B年とC年には、この任意の朗読が掲載されていま
すので、ここでも、各年の答唱詩編を扱います。

《A年》
 23 栄光は世界におよび
【解説】
 賛美の詩編の詩編29は、全部の詩編の中で、最も古い詩編と思われています。古代カナン人のバアルをたたえ
る詩を、イスラエルの神に当てはめたと考えられています。「神の子ら」は、イスラエルでは、神に仕える天使たちと考
えられてきましたが、後には、神に従う信仰深い人々をさすようになりました。たびたび出てくる「神の声」は、雷のこ
とのようです。冒頭では神への賛美を促し、最後には、神による祝福が約束されますが、これは、キリスト降誕の時
の天使と天の大群の賛美の歌(ルカ2:14=栄光の賛歌の冒頭)にも見られます。
 答唱句は冒頭、音階の第三音から、上行音階の、しかもユニゾン(すべての声部が同じ音)で始まり、四声に分か
れる「世界」で、旋律は前半の最高音Cis(ド♯)に達しています。この間、バスは「栄光は」から「世界」で、6度下降
跳躍しています。これは、作曲者が「時間と空間を超越した表現」として用いる、旋律の6度の跳躍の反行にあたりま
す。これによって、また和音の広がりによっても、神の栄光の世界への広がりが現されています。その後の「世界に
および」で、旋律は音階で属音E(ミ)に下降しますが、天におられる神の栄光が、世界(全地)に行き渡る様子が示
されます。後半、旋律は和音構成音で上行し、「かみ」で、答唱句全体の最高音D(レ)に達し、バスとの広がりも、2
オクターヴ+3度という、原則として、もっとも広いものになり、神の栄光、神の偉大さが現されます。最後の「神は偉
大」には「-」(テヌート記号)が付けられており、これによって、このことばが一音節づつ力強く歌われるようになってい
る。
 詩編唱は、高音部のCis(ド♯)から力強く始まり、落ち着きと壮大さをもって、音階で下降します。
【祈りの注意】
 解説にも書いたように、答唱句は全体、力強く歌います。しかし、冒頭のユニゾンの上行音階は、cresc. したいの
で、最初からf では、後が続きません。最初は、やや、弱め(ただし精神は冒頭から力強く)で歌い始めましょう。「世
界に」で、前半の最高音になりますから、のどと胸を開いて歌いましょう。バスは、特に力強く、また、深い声で歌って
ください。その後、旋律は、いったん下降しますから、少し、dim. するとよいでしょうか。「すべてを」からは、また、上
行しますので「かみ」に向かって cresc. しましょう。最後の「神は偉大」は「-」(テヌート記号)が着いていますか
ら、答唱句の中では、もっとも力強く、地面を踏みしめるように歌いますが、一つ一つが飛び出したようになったり、乱
暴になってはいけません。あくまでも、祈りとしてふさわしい、レガートの中でのテヌートであることを忘れないようにし
ましょう。テンポは四分音符=66ですが、あまり、早くなると、せっかちに聞こえます。力強さを現すためにも、雄大
さが感じられるテンポを考えましょう。だからといって、冒頭のユニゾンがだらだら歌われると、全体のしまりがなくなり
ます。ここは、階段を一気に駆け上がる気持ちで歌うとよいのではないでしょうか。
 今日の詩編は、福音朗読に深く結びついています。詩編唱の1節の「神の子ら」の代表は洗礼者ヨハネでしょう。2
節は、福音朗読の最後で聞こえてくる「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声。3節はキリストの王
職です。この、王職は、この世の支配者が行うようなものではなく、第一朗読のイザヤの預言で読まれるような、主
=神の僕、神のひとり子として、神のみ旨を、行うものです。主の洗礼に結ばれるわたしたちは、この、キリストの王
職をも、受け継ぐものとされています。今日の詩編を味わいながら、わたしたち自身の洗礼、堅信、などを思い起こ
し、キリストと結ばれている喜びを、高らかに賛美したいものです。
【オルガン】
 答唱句のことば、祝日の性格、朗読の内容から、やや、明るめのストップがよいでしょうか。しかしながら、答唱詩
編の大切な役目である、黙想を忘れるような音色や強さは避けるようにしましょう。
 解説にも祈りの注意にも書きましたが、だらだらとした歌い方にならないためには、まず、オルガンの前奏が、最初
のユニゾンの部分をふさわしいテンポをとらなければなりません。かと言って、早すぎてもいけません。本当に、この
答唱句の祈りにふさわしいテンポを取るためには、何度も、繰り返してみることが必要になってくるかもしれません。
音が簡単な分、なおさら、準備が大切になってきます。最後のテヌート記号がついている部分も、一つ一つが飛び出
したようにならによう、延ばし方、切り方を考えてください。根気よく、ふさわしいテンポを探してゆきましょう。それは、
オルガン奏者が、祈る人として、一生かかって探すものだと思います。
《B年》
 164 喜びに心をはずませ
【解説】
 答唱句もここから取られているイザヤ書の12章の3節は、有名なフォークダンス「マイム・マイム」(マイーム・ベサソ
ン=喜びをもって水を)の元となった箇所です。イザヤの12章は、ユダとエルサレムに関する預言の最後の部分で
す。11:11-16で、出エジプトの出来事が思い起こされ、12:1-6の救いに感謝する歌の導入となっています。さ
らに、この12:1-6は、出エジプト記の「海の歌」(15:1-18)にある、神が「住まいとして自ら造られた所、御手に
よって建てられた聖所」(15:17)の成就となっています。
 答唱句は八分音符や十六分音符などの細かい音符を多く用いて、大きな喜びを持って歌われます。「よろこびに」
は、各音節が異なる音価で歌われ、旋律も一気に最高音C(ド)に上昇し、喜びの心を高めています。「こころ」と「すく
い」は付点八分音符+十六分音符のリズムで、これらにはさまれた動詞「はずませ」の心の動きを促し、「はずませ」
の旋律はA(ラ)とG(ソ)を反復し、バスではH(シ)=を用いて転調することで、ことばを生かしています。
 「救い」では、旋律が6度跳躍し、キリストによる尽きることのない泉に象徴される神の救いの豊かさ(Io4:7-15)
を表しています。最後は、旋律が低音部で歌われ、この尽きることのない泉から水を汲む姿勢が暗示されます。
 詩編唱は、数少ない2小節からなるものの一つで、旋律も和音も複雑ではありませんが、逆にそれが、歌われるこ
とばの多さを生かすもの、となっています。
 今日の第一朗読とこの答唱詩編は、復活徹夜祭の第五朗読と同一です。この第五朗読は、洗礼の恵みを表すも
ので、第五朗読が読まれなかった場合で、洗礼式がある場合には、第七朗読のあとにこの答唱詩編を歌うように勧
められています。それほど、この答唱詩編は、洗礼の恵みを先取りするものとされています。
 主の洗礼の祝日に、第一朗読を受けてこの答唱詩編が歌われることは、すべての洗礼の源である主の洗礼にふさ
わしいものと言えるでしょう。
【祈りの注意】
 答唱句は、十六分音符の活き活きした動きを生かして歌いましょう。「はずませ」のA(ラ)とG(ソ)を反復は、ややマ
ルカート気味にするとよいかもしれませんが、はっきりしたマルカートではやりすぎですので、そこまでにはならない程
度にします。「はずませ」のあとは、息をしますので、この前で、ほんのわずかですが rit. し、「せ」の八分音符は、テ
ージスの休息を生かし、そっと置くように歌います。そして、その八分音符の中で、すばやく息を吸って、先を続けま
す。「神の み旨を行うことは」「神よ あなたはわたしのちから」なども同様です。最後は、「救いの泉から水を汲」んで
いるように、静かに rit. してゆき、落ち着いて終わりましょう。特に、最後の答唱句は、この rit. をより豊かにするこ
とで、品位ある歌い方になります。
 詩編唱は洗礼によって与えられた、救いの喜びを思い起こしながら先唱してください。詩編唱の1節、および2節と
3節の2小節目は、音節(ことば)が多いので、早めに歌います。そうしないと、答唱句とのバランスが取れないから
です。1節は、神の救いに信頼した、確固とした決意を持って、2節と3節はその救いを世界に伝えることを、すべて
の神の民に呼びかけるように歌いましょう。
【オルガン】
 オルガンのストップ(レジストレーション)ですが、この喜びを十分に表すようにしてください。とは言っても、答唱詩編
は、第一朗読の黙想を助けるものですから、派手なプリンチパルは控えましょう。フルート系で2’を入れ、場合によっ
ては、8’+2’という組み合わせもよいかもしれません。

《C年》
 69 神よ あなたのいぶきを 
【解説】
 詩編104は、前の詩編103と同じく「創造」が主題となっています。また、はじめと終わりに同じ繰り返しのことば
が当てられています。この詩編104は、ほぼ、創世記1章にある「創造物語」の順序に従って、神の創造のわざが述
べられています。特に、31節は、諸物創造の後、神が言われたことば「神はそれを見て、良しとされた」(1:10他)
に対応しています。その一方で、29節は、楽園物語における人間の創造(2:6、3:19)をも思い起こさせます。創
世記1章2節を指す、この詩編の30節は、また、キリストの過越と昇天を通してもたらされた聖霊の派遣(ヨハネ14:
15-31)=聖霊降臨によって始まった「新しい創造」と結び付けられて、この日の主題ともなっています。
 ちなみに「創造」(ヘブライ語=バラー)と言うことばは、聖書では、必ず「主=神」が主語となっています。
 答唱詩編の冒頭のページでも書いたように、この神よあなたのいぶきをは主はのぼられたと対になっています。
冒頭、旋律は主はのぼられたの最高音H(シ)より半音低いB(シ♭)から始まります。この音は、ミサの式次第で
は、司祭の音=奉仕者の音ですから、聖霊の発出は、神がわたしたちのほうに、歩み寄って=一歩降りて、奉仕し
てくださるものであること、神のいつくしみ深い被造物への配慮であることを表しています。伴奏の冒頭も、バスとテノ
ールが省略されており、聖霊の派遣が、天からのものであることを伴奏でも表しています。
 さて、旋律は徐々に下降し、最後は主はのぼられたの冒頭の音と同じD(レ)に降りて終わりますが、この音はや
はり、ミサの式次第の最低音です。このD(レ)はバスの終止音でも同じ(旋律とは2オクターヴ離れています)で、こ
れらは、神のいぶきである聖霊が、その派遣を約束された主がのぼられたのと同じ、地上に降りてきて、世界に広が
ってくださったことを表しています。
 詩編唱は、ドミナント(支配音)であるA(ラ)を中心に、上下の音B(シ♭)とG(ソ)だけです。これは、あたかも、「炎
のような舌が・・・・・一人一人の上にとどまった」(使徒2:3)ことを思い起こさせ、また、暗示しています。答唱句も詩
編唱も先の主はのぼられたと同じく、典礼暦年の流れを考慮して作られたものです。
【祈りの注意】
 答唱句は全体、聖霊が降りてくる様子を表すようにすることは、言うまでもないことです。最初の「神よ」は、しっかり
とした呼びかけとしましょう。ただ、その後の「あなたの~」が、だらだらすると、答唱句全体のしまりがなくなりますの
で、ここは、冒頭より、やや、早めに歌うつもりで入ってください。そのためには、「あなた」の前の八分休符で、このテ
ンポをとるようにします。この八分休符は、テンポをとる上でも、「あなた」のアルシスを生かす上でも大変重要な八分
休符です。以前にも書きましたが、この休符は音がないのではなく、ない音がある休符です。中間部分は、インテン
ポのまま祈りが進みますが、「地のおもて」で、バスが、八分音符早く出るあたりから徐々に rit. して、おさめるよう
にします。特に、最後のバスは、聖霊の広がりと深みを表すような声で祈れれば、この祈りにふさわしいものとなるで
しょう。
 今日の福音では、後半で、「聖霊が鳩のように目に見える姿で上に降って来た」(ルカ3:22)と、洗礼の際にイエ
スへの聖霊の派遣がかなり、具体的に書かれています。答唱句では、この出来事を思い、そして、まさに目に見える
ような表現となるように、祈りを深めたいものです。詩編唱は1節と5節を黙想しますが、1節では、主の変容が想い起こさ
れます。イエスが洗礼を受けたときには、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」(3:22)という
声が聞こえ、変容の際には「これはわたしの子、選ばれたもの、これに聞け」(9:35)という声が、雲の中から聞こえ
ました。どちらも、だれの声とは書かれていませんが、「天」も「雲(の中)」も、神の臨在を現わすものですから、天に
おられる父の声であることは間違いありません。
 第一朗読のイザヤ書では、主の栄光の現れと再臨による統治が述べられていますが、それが、愛する子である、
イエスの派遣に他なりません。このことを詩編唱を味わいながら黙想し、五節の前半で歌われる神の創造のわざは、
今も典礼で語られる聖書の朗読を通して、また、神のいぶきが今も注がれることを通して、実現していることをあらた
めて、想い起こしたいものです。
【オルガン】
 前奏では、聖霊の派遣を想い起こすように、レガートで流れが途切れないように、指を滑らしたり、もちかえを工夫し
ましょう。答唱句の手鍵盤はフルート系の’8+’4、ペダルは’16+’8でよいでしょう。最初のバスの音には重々し
さが必要ですが、プリンチパル系やリード管ではバスの音が大きすぎてしまいます。人数が多い場合は、こちらも、
手鍵盤の’2、ペダルの’4は使わず、いずれも、コッペル(カプラー)を用いて、Swell をつなげるとよいでしょう。
 



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